株式会社AIアプリケーション
AI Application Inc.

ビジョン

誇張のない真実のAI(人工知能)を通じて、人の本当の幸せに貢献する
(本サイトでは、日本語「人工知能」とEnglish: “Artificial Intelligence” は同義語とします)

【社名に関連して】
 弊社の社名には、
We don’t apply AI to something but innovation to AI.
「AIでアプリケーションをつくるのではなく、AIを新たなアプリケーションにする」
という意味が込められています。

 今日のAIという言葉は、よく言ってもマーケティング用語、あるいは完全にバズワードになっています。ITシステムは何でもAIと言ってしまうような風潮は、多少、歴史的背景もあると言われています。
 米国の哲学者ジョン・サール(John Rogers Searle)は論文、”Minds, Brains, and Programs” の中で、「人工知能とは何か」という問いを発し、強いAI(Strong AI)と弱いAI(Weak AI)と二分する次のような見解を示しました。
強いAIは、「コンピュータは単なる道具ではなく、正しくプログラムされたコンピュータには精神が宿る」とされます。
弱いAIは、「人間がその全認知能力を必要としない程度の問題解決や推論を行うソフトウェアの実装や研究」とされ、「人間の知能の一部を代替する機能を担い、人間をサポートする」ものとされています。
これ、すなわちIT、ソフトウエアそのものです。人間の知能の一部を代替していれば、AIだと言っているのです。電卓でも、エクセルやワードでも、メールソフトでも、弥生会計でもSiriでもアレクサでも、MINDでも、どんな些細なものでも、みなAIのソフトウエアということになります。
 現在のAIは全てこの弱いAIです。従って、ITとシームレスに重複しています。
今日、強いAIは開発もされていないし、実現の見込みもありません。従って、シンギュラリティは現在、荒唐無稽と言わざるを得ません。
強いAIがありえない結果、実態として、AIに強いも弱いもない。ただ、ITとシームレスに重複するAIがあるだけです。

 では、AIとITソフトウエアの区別はないのでしょうか。
さすがに、全てのソフトウエアとAIを一緒にしているわけではなく、なんらかのデータからその機構のロジックをソフトウエアが生成している場合に、そう呼んでいる場合が多いようです。論理機構を全てつくるわけではなく、一部であるが主要な部分を機械・ソフトウエアが行っている場合をAIと呼んでいるのです。
 本サイトでも、曖昧という誹りは甘んじて受けて、この使い方をしています。この論理の主要な部分を機械・ソフトウエアが行っている場合でも、ロジックを自らの意思で創り出すのではなく、人間が設けた仕組みの中で、限られた自立性のもとで、そのソフトウエア機構の一部を創り出しているのです。この限りにおいても、強いAIはあり得ません。
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